僕はこの季節になると、祖父の農業の手伝いを始める。
手伝いと言っても、苗を運ぶだけの作業だ。
それこそ僕のような素人が田植えをしたら
苗の無駄使いになるのは目に見えている。
ついさっきだが、祖父からこんな話をされた。
「昔は○○という名前の米が人気があったが、
今の人気は○○という名前の米だ。
消費者が味に飽きてしまうから、品種も変わっていく」
僕は頷いたものの、不思議な話だと思い、祖父にこう質門した。
「米の流行ってあるの?」
すると父は少し考えてこう答えた。
「5年から10年周期に消費者が飽きてしまい、流行が変わる」
米とは違うがSNSの流行も大体10年が限界だ。
人というのは長くても10年で物事に飽きてしまう動物なんだろう。
僕はその時は純粋に面白い話だと思った。
だが今はこう考えている。
「僕も飽きられたのかなー」って。
米やSNSの流行は長くても10年と書いたが、
僕には10年も付き合いのある友人はいない。
10年来の親友という言葉もあるが、
僕の友人関係は長く続いても9年間が限界だった。
僕の賞味期限は明らかに米やSNSよりも下という事だ。
当たり前の事だが、それはとても悲しい事だと思う。
PR